金の第3代皇帝 〔金の皇帝・人物・歴史〕

熙宗は金の第3代皇帝。

金の太祖阿骨打の嫡子である宗峻の長子。

正妻は女真貴族の裴満忽達の娘の裴満氏・1138年に皇后に昇格。

子は裴満氏が産んだ太子の済安、魏王済道。

なお、生母は女真貴族の娘の蒲察氏である。

1132年に大叔父の太宗呉乞買の皇太子となり、1135年に第3代皇帝として即位した。

熙宗の時代にはこれまでの女真式の部族制国家から脱却、皇帝独裁の確立を目指して王朝の中国化が図られ、中国風の官制を導入した。

また中央集権化が進められ、中国北部の支配の強化なども行なっている。

外交においては、1141年に南宋との間で最初の和議を結び、淮水の線を国境とする分断の固定化が行われ、そのために宋は金に対して臣下の礼を取り、歳幣を毎年支払うことを定めるなど、金にとって圧倒的に優位な条約を結んだ。

一方、太子の済安と魏王の済道が夭折したために、彼は突然に皇帝の独裁強化のために先帝以来の功臣であった宗翰を初め、女真人の重臣や王族の粛清を繰り返したり、奢侈に走って酒に溺れるなどの暴政を繰り広げたため、1149年、自身の反対派と共謀した従弟の海陵王によって廃された後に、殺害された挙句に東昏王に格下げされた。
update:2010年03月09日